この度、クリーニングの業界紙である全ドラ新聞様にて、2ヶ月に一回のペースでコラムを連載させていただくことになりまして、慣れない執筆業務ではありますが、頑張って行きます( ー`дー´)

全ドラ新聞

コラムでは、クリーニング店さんのお役に立てるような情報を執筆させていただくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします( ̄^ ̄)ゞ

以下、第1回の内容を転記させていただきますので、参考までに(^^ゞ

【クリーニング業界のみなさま、はじめまして。染み抜きと染色補正専門店・京都【なをし屋】代表・染色補正師の栗田裕史です。
私は、クリーニング業ではなく、染色補正という業種に携わって20年ほどになりますが、クリーニング業界の方とのご縁も多く、この度、この全ドラ新聞様での連載というご縁を頂きました。
私は普段、京都で染み抜きと染色補正を専門とする店を運営しており、集客・応対・作業・運営などの、お店の全ての業務を一人でこなしております。なをし屋には、日本全国(時には海外)から、大切な衣類や革製品などを再び着られる・使えるように直して欲しいと願うお客様からのお品物が、小さなお店を埋め尽くしてしまうほどに、日々集まってきます。
私は、同じく染色補正業を営む父の、跡継ぎを強制された訳ではありませんが、2代目として生まれました。
染色補正という業種は、今でもそうですが、和装業界の裏方的存在の職人さんがほとんどで、私のように、表に出て商いをする方はまだまだ珍しいのが現状です。
そんな裏方から表舞台に出て【なをし屋】を立ち上げ、ネットや店頭で一般のお客様相手の集客を始めて5年ほどになりますが、そこに至った経緯を少しお話したいと思いいます。
父の跡継ぎとして染色補正業に就いた私は、業者さんから持ち込まれる品物をひたすら作業する日々で、経験と研究を重ね、技術はレベルアップしていきましたが、何と申しますか、仕事に対するやりがいとか充足感のような物を感じられていませんでした。
そんなある春の日、経営者でもある父が大病を患い、突然、半年間の入院を余儀なくされました。二人でもこなしきれないぐらいに仕事の依頼があった状態でしたので、独り店を守らなければならなくなった私は、悲壮な使命感を抱えつつ、半年間ほぼ休み無しで、時には明け方まで必死になって仕事をしていました。
正直、肉体的にも精神的にも辛かったですが、父や店のためのやりがいを感じてもいました。
その後、何とか半年振りに父が無事退院して来た時、自分の力で店を守ったという達成感を味わうと同時に、またこのまま以前と同じ日々に戻るのではなく、自分の可能性を求めて挑戦してみたいという、強い気持ちを持ちました。そして、いつも感じていた物足りなさの原因が何か?と考えた時、今までの仕事は、誰かの為になっているという実感がなかったからではないか?と思い至りました。
では、自分の仕事が誰かの為になっていることを実感するにはどうしたらよいか?と考えた時、やはり、困っているお客様と直接やり取りするしかないと結論付けて、なをし屋を立ち上げました。
このような経緯で裏方の一職人から表舞台に出たてきた私ですが、クリーニング業界の現状をしるにつけ、まことに失礼な物言いではありますが、実にもったいないというか、歯がゆい思いを持っております。
私が店を立ち上げた時、ずっと裏方として仕事をしてきた私は、集客はおろか、お客様への対応すらおぼつかない有様で、多くの失敗や苦労を重ねました。対して、皆さんは既に消費者との接点を持っておられますし、お店だって、お客様に来ていただく設備や体制が整っているはずです。さらに、集客や技術面などでサポートしてくださる業者さんもたくさんいらっしゃいます。全てを自力で手探りでやってきた私から見れば、クリーニングは何という恵まれた業界なんだろうと思えてしまいます。
和装業界は、もう何年も前から激しい淘汰が続いており、業界の規模もどんどん縮小しています。クリーニング業界も縮小と淘汰が起きているようですが、私から見れば、まだ危機の入り口に立ったにすぎないように思えます。
要するに何が言いたいかというと、近くて異なる業種の私から見れば、クリーニング業界にはまだまだチャンスや未来があるということです。私の得意とする専門分野は、染み抜きや色修正の技術と、修正品(特に着物)の集客と受付のノウハウです。次回からは、具体的な事例なども交えつつ、皆さんが通常のクリーニング品にプラスして、染み抜きなどの特殊品を受け付けることで、貴店の売り上げと信用度を上げる助力となるようないお話をさせていただきたいと思っています。】

クリーニング業界の皆様、近い異業種の私ですが、どうか温かい目で見守ってやってくださいm(_ _)m